8000kmの大冒険をしたイカダ船!オスロのコンティキ号博物館へ行ってきた

博物館が集中する人気スポットのビグドイ地区。オスロに来たからには寄っておきたい場所です。コンティキ号博物館はそれらの博物館の中でも、ある意味異色の雰囲気を持つ博物館となっています。というのも、ノルウェーに居るのに何故か南国のオーラを感じられるのです。

何故なのかはコンティキ号が造られた理由、してきた探検を知れば納得がいくようになっています。この記事では、コンティキ号博物館の内部を紹介してみました。

コンティキ号博物館 基本情報

建物の前、写真右側にモアイがあるのが見て分かるように、外観だけでも既に北欧の雰囲気を失っています。壁の顔も南米感ありますもんね。

コンティキ号博物館という名前が付いてはいるものの、より正確に言えば、船を作成して航海に出たトール・ヘイエルダールについての博物館といった内容になっています。内部に入ると更に北欧の雰囲気を失う、なんとも不思議な場所です。

詳細情報

コンティキ号博物館への行き方

オスロ西部の半島であるビグドイ地区。コンティキ号博物館はそのビグドイの半島右側の先端に位置しています。

オスロ中心部から徒歩で行くには遠くてアクセスしづらいです。一番のオススメはバスで行くこと。ビグドイ地区へは30番のバスが通りますから、中心部で30番バスに乗り込んでいきましょう。

降りるのは「Bygdoynes」というバス停で、コンティキ号博物館に加えて、ノルウェー海洋博物館とフラム号博物館もすぐ目の前です。

コンティキ号博物館 入場料

ノルウェーの通貨はNOK(ノルウェー・クローネ)で、世界でもトップクラスの物価の高さで知られています。

ここコンティキ号博物館の入場料は以下のようになっています。

  • 大人…120NOK(約1,354円)
  • シニア…90NOK(約1,015円)
  • 子供(6-15歳)/学生…50NOK(約567円)
  • 家族…240NOK(約2,723円)
  • 10名以下の団体…80NOK(約907円)

上野の東京国立博物館が1,000円であることを考えると、ヘイエルダールとコンティキ号だけの博物館で1,300円越えというのは安いとは言えませんね。流石はノルウェーです。

チケットは当日に博物館の窓口にて購入になります。オンラインでは売っていません。

なお、オスロパスを持っていれば無料で入れます。オスロの観光においてかなり節約が出来るオスロパスは購入するのがお得です!

こちらの記事で買い方と使い方、お得度を紹介しています↓↓

コンティキ号博物館の内部

実際にコンティキ号博物館へ行ってみました。中が適温なのでさらに北欧感が薄れていきます。入口のKON-TIKI看板の女性が私を南国へと誘っていきます。

なぜ筏でそんなに頑張ったのか

コンティキ号は動力も持たない筏船なわけですが、そもそも何故ヘイエルダールはこれで航海をする必要があったのか?それは彼自身の説が理由となります。

オスロ大学にて個人的にポリネシアのことを研究していた彼は、当時は謎とされていたポリネシア人の起源を南米とする説を唱えました。しかし、「当時の技術で南米からポリネシアまで船で行き来するのは不可能である」という理由で学会からの反対に合います。

ポリネシアは現在のミッドウェー諸島、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形内の諸島の総称。要するにニュージーランドの右上にある島々近辺です。たしかにポリネシア人の主食とされるサツマイモが南米原産であり、呼称も南米の言葉と似ているなど、ロマンを感じさせる要素はあるようです。

ですが、一番南米に近いイースター島ですらチリから3,800kmも離れています。ただ浮くだけの船で行けるのかと思われるのは無理もありません。

ヘイエルダールは試すことにした

自分の説の可能性を証明してみせることを決意したヘイエルダールは1947年、コンティキ号で航海に出ます。筏自体は当時の人々が利用できた材料のみで作成したものの、六分儀やラジオ、海図、金属ナイフといった道具は持っていきました。

成功したところで「可能性があることを証明する」だけであって「説が正しい」証明にはならないわけですが、研究者の情熱を感じますね。

5人の乗組員と1羽のオウムと共に出航。フンボルト海流を越えた後は、漂流しながらイースター島を目指しました。出航から101日目にフランス領ポリネシアのラロイア岩礁に座礁。乗組員は全員無事に上陸し、彼らは南アメリカの先住民が筏で太平洋を西に横断することが出来た可能性を証明しました。

生還できるかも分からない挑戦に成功した勇気と自信は驚嘆に値します。彼の冒険記は多くの言語に翻訳され、世界中で2000万部のヒット。ドキュメンタリー映画に至ってはアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞をも受賞しました。説の正しさは証明できなくとも、充分な栄誉です。

もう一回試すことにした

ここで終わらなかったヘイエルダール。1969年、「アステカ文明とエジプト文明ってなんか似てるわ」と思った彼は、今度は古代エジプトの葦聖の船で大西洋を渡れることを証明するためにラー号という船を造り、これで2度も大西洋横断に挑戦します。

1度目は失敗に終わる者の、2度目はカリブ海のバルバドス島まで到達。この航海にはなんと日本人カメラマンである小原啓氏が同行しました。

右から2番目に写っていますね。最終的に6000km以上の航海をラー2世号で達成しています。

さらに1977年にはイラクからアフリカのジブチまで公開するなど、ヘイエルダールは挑戦を重ねた模様。2002年に亡くなるまで、彼は学者・冒険家であり続けたのです。

残念ながら科学が発達した現在、彼の「ポリネシア人は南米から来たんじゃないか説」と「アステカ文明ってエジプト人が作ったんじゃないか説」のどちらも否定的見解が優勢です。

しかしヘイエルダールの偉業は世界中で尊敬を集め、説自体は正確じゃなかったとしても、達成したことは間違いなく素晴らしく、色あせることはありません。真の冒険家と言えるでしょう。

さいごに

ということで、コンティキ号博物館についてご紹介させていただきました。やはり北欧にいながら南国テイストの雰囲気がする博物館というのは貴重で、様々な博物館があるオスロならではなのかもしれません。ヘイエルダールの冒険はとても胸躍るものでした。

ビグドイ地区はコンティキ号博物館以外の4つも勿論楽しいので、是非とも訪れてみてはいかがでしょうか。

読んでいただきありがとうございました。

その他にも数多くの博物館を有するオスロの観光スポットまとめはこちら↓↓

コメント

タイトルとURLをコピーしました